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Who am I  ? 自分は何者か?

 

まだまだ発展途上な僕自身、

近年では仕事もライフワークも常に変化し続けている。

それはこれからも変わらずそう。

「何屋さん」

と一言で言い切れない

「働き方・生き方」

それは周りから

なかなか理解されにくいのかもしれない。

所謂スラッシャーとして、あらゆる側面を持って活動していますが、その物事の判断基準は1つで、決して揺るがないものがあります。僕に少しでも興味を抱いてくださってきっと当サイトへ訪れてくれたのでしょう。

そんなあなただけに、「了戒翔太」という人間がどういった価値観を持っていて、何を思って何を感じて何を大切にしているか。

つまり僕は何者か?を正確に把握してもらうためパーソナルHPを持とうと思いました。

アーティストは、独自の世界観を持ち、 その世界観を作品でカタチにして表現します。

優れたアーティストは想いを持っているだけでなく、 確かな技術を習得し、世界観の表現に役立てます。 ダ・ビンチもピカソも優れた技術の基礎があってこそ 自分の世界を表現してきたわけです。

それは僕たちのような起業家や経営者もそうです。 起業家や経営者が大事にする世界観があり、 その世界観に共鳴したお客様がサービスや商品を購入してくださって ビジネスの結果という作品に表れます。

そして、確かなマインドやスキルを習得し、 ビジネスの成果=世界観の表現に役立てます。 自分の世界観の延長線に沿って、 それを表現することがビジネスであれば、 これほど楽しい創作活動はないのではないかと思いませんか?

あなたはどのような世界観を響かせて、

人生を創作しますか?

01

経営者である意味

未来にとって必要なコト・モノ・価値を創造する。それが、「本質的」であるかどうかが判断基準。

そして魅力的に美しく。

私が与えられた役割は「本質的」なことを「魅力的に美しく」伝えること。その価値を、社会に還元することが使命である。

最後に、唯一無二。

本質的なことを魅力的且つ美しく伝えることが私にしかできないこと。それは、世の中で「唯一無二」な存在になるということ。本質的・魅力的・美しく」から生まれる「日本の未来が喜ぶ姿」こそ、私の存在意義である。

~基本理念は全体にとってのベストを~

自分の利益のみを優先するのではなく、

お客様・取引先・地域社会など全体への貢献を重視する考え方です。

『自分の為』だけではなく、(クレクレ星人)

『誰かの為』だけでもなく、(自己犠牲)

『全体』にとってのベストの選択は何か?

と公益性をベースにすることが私の価値基準です。

02

音楽をする意味

【夢は叶う、を体現する】

言葉も音楽を通すと純度が増し人の心により伝えたいことが届きやすいと思うのです。

例えばですがブログやSNSや書籍に

「宇宙」「聖なる存在」・・・

という字面が書いてあると斜に構えたり、なんだか怪しいと感じる人も少なくありません。

ただ歌の歌詞に「宇宙」「聖なる存在」とあっても違和感や怪しさを感じないどころか、「素敵」と感じる人も多いようです。

これは何を意味するのでしょう。

僕は「言葉」は「音」に乗せるだけで、「影響力」を持ち人の心に届きやすくなると思うのです。ようするに受け入れやすく&聞き入れやすくもなるのですね。

また、「音楽」は「何らかの媒体」を介さずともダイレクトに人の鼓膜に情報伝達のできる
数少ないツールだと感じてます。本やネット記事は意識的に何かの媒体を手にして情報を取得しますが、町を歩いているときに頼んでもないのに勝手に耳に飛び込んでくる音楽ってありますよね。本も、ブログも、ラジオも、SNSもこれらはすべて表現媒体でありメディアツールですが音楽も同様です。自己表現形態の一つとして、僕はより情報伝達のしやすい「音楽」を取り入れたまでです。

で、その音楽を使って

何を成し遂げたいか。

僕自身、学歴もなければ特別なスキルもなければ決して裕福な家庭で育ったわけではありませんが、自分の「意識」と「行動」だけで自己実現をしてきた自負があります。

※もちろん家族や諸先輩方やたくさんの仲間達からの助言・応援・支援があってのことですが。

僕というフィルターを通して感じている現在進行形の哲学があり、それは僕にとってはすごく人生で大切なこと。そんな大切なことを言葉だけで伝えるのではなく、前述した通り、音楽を通して純度を高めて人の心により響かせたい。

そう感じているのです。

言葉には「コトダマ」があり、
音楽には「オトダマ」があるといいます。

「コトダマ」×「オトダマ」で自分だけのカラー、つまり「シキダマ(色霊)」の力を活用して伝えていきたい、それが僕が音楽をやる理由。

03

個人 了戒翔太として

人の為と書いて「偽」利己利他のススメ

「世のため、人のため」・・・古から伝わるいい言葉だと思います。

「世のため、人のため」という前に、まず前提として「自分がやりたいから」「自分がそれを好きだから」やっているんですよね。

「誰かのために」という「利他の精神」のなかには、「どうしてあげたい」「これをやりたい」「どのようにやればいいか」という心があるはずなのでそれは結果的に「利己の精神」になります。つまり「世のため、人のためにやる」というのは100%「利他」になるわけではなく「自分がこうしたい」という感情も介在するはずなので、「利己⇒利他」になるわけです。 

それで、その自分が「やっていること」が結果的に、世の中や、他の人のためにもなったら、これほど嬉しいことはないと思いませんか。

そんなことを感じていたここ最近、先日ある記事が目に留まりました。

▼以下引用


「世の中を変えよう」と思っても、明日とか急にはなかなか変わらないと思います。「なぜ千日回峰行、こんな行をしたんですか?」と言われて、10代のときによく言っていた言葉は「世の中のため人のために、私は精一杯修行をしたい」ということでした。ある日、そういう言葉をおそらく耳にした師匠が、お茶を飲んでいるときに笑い話で「坊さんなんていうのは、世の中のため人のためということはあんまり言わんほうがええな」と。「世のため人のためというのは当たり前なんだ。まず自分自身がしっかりと心身ともに徳のある人間に成長すれば、自然と世の中のためになっている。『世のため人のため』という人間に限って、どこかで必ず自分のためになるような動きをしているものだ。だから人の為と書いて『偽り』と書くんじゃ」と。そういう「世のため人のため」という大切な宝物の言葉は、心の奥底にしまって。そして、いろんな人との調和ですね。「自分だけが」ではなくて。自分自身もしっかりする。そして、しっかりした自分とみなさん、どんな人とでも相和して調和をしていく。この自律と協調性が大切だと思います。


『世のため人のため』という人間に限って、自分のために行動している」– 慈眼寺の住職・塩沼亮潤氏

このように結局は自分本位なのが人。結局、人は自分本位なのだと思います。

例えば、人を喜ばせるのが好きな人。

結局は自分の欲求を満たしているに過ぎないことが大半です。相手を喜ばせるのが好きなのではありません。相手を喜ばせる自分の行為が好きなのです。好きというよりか、喜んでもらうことが嬉しいのです。

逆を返すと嬉しいからこそ、好きなのですよね。

 

自分が嬉しい気持ちを味わうために、相手を喜ばせようとしているのです。それなのに、「誰かの為」って違和感ですよね。もし仮に、喜んでもらおうと行動します。でもその行為に対して、全く喜ばれなかったら?

悲しいですよね。人によっては「あんなにやってあげたのに!」と、憤りを感じる人もいるでしょう。

この場合は「見返りが前提で与えている」から結局、世の中のせいにしたり、他人のせいばかりにする人なのです。

でも、でも、ここでよく考えてみて欲しいのです。

本当に相手のためを思うなら、相手が『どう受け取っても』何ら問題ないはずなのです。

なぜなら、重要なのは、それは「相手の気持ち」で「あなたの気持ち」ではないのだから。

だからあなたが悲しい気持ちになったところで、どうでもいい話なのです。(ほんとうに相手のためと思うならば)それでもやっぱり人に喜んでもらいたい人は自分が嬉しい気持ちになりたいと考えている。

そう、結局は全部自分のためなのです。

ただそれだけ。

自分の感情が最優先なのです。

かのアドラー博士も同じことを言っている。

アドラー博士は、精神疾患の患者たちに言ったそうです。

「好きなことをして過ごせばいい。時々、どうすれば人を喜ばすことができるかを考えて下さい」

患者が「どうして人を喜ばせることを考える必要があるのです?」と尋ねると、

「あなたの健康のためですよ」と答えたそうです。

ということで、人のために何かをしたり人を喜ばせることは、自分の心をわくわくさせる効果があるので、結果的に自分のためになっているそうです。誰かの言葉か忘れましたが、「他人に善を施すことは自分に最善をなすことだ」なんて言葉もあります。

「利己と利他」

これは住職さんも語ってましたが、「自分だけが」ではなくて。自分自身もしっかりする。

そして、しっかりした自分とみなさん、どんな人とでも相和して調和をしていく。

まずはインサイドアウト、自分自身が喜びを感じていればいい。

自分が幸せならば、今度は周りの人に幸せが伝播して幸せの枠組みが広がっていきます。

あまり深く考えすぎずに、

誰かのためだけでもなく、

自分のためだけでもなく、

その場を楽しむ感覚が最も大切なことだと私は思います。住職の言葉になる「人の為と書いて「偽り」と書く。」響きます。。金八先生も驚愕でしょうね。(笑)

人類の命の意味は1つ、未来をよくすること

これは私の尊敬する経営者から教わった言葉です。 時代の経過と共に、テクノロジーは発達していき、 クルマや電化製品もよりアップデートしていきます。 要するに私たちは皆、天から与えられた役割を全うするして 「未来をよくすること」をビジョンとして この世に生を授かっているのかもしれません。

当時の先人たちが残してくださった叡智を、 いまだに私たちは「本」を通じて学んでいます。 過去から引き継いできたように、 今度は我らが後世へ継承するため、 現代の良質なコンテンツを「本」に限らず時代に沿った 表現媒体を駆使して未来に残し、 日本の教育やエンターテインメントに貢献を 果たすことができるのであれば、この上ない幸せです。

また僕の会社名にも深い意味があります。 「エバーグリーン」は、 音楽用語で「不屈の名作」という意味です。 また、直訳すると「常緑・常緑樹(の枝)」ですが、 比喩的に「いつまでも新鮮な」や「青春」という意味があります。 青春と聞くと、学生時代など年齢的な若さを連想する方も少なくありません。

しかし、あなたはドイツの作詩家サミエル・ウルマンの言葉をご存知でしょうか。

【青春とは人生の一時期のことではなく、心のあり方のことだ】 

若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、安易(やすき)に就こうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。 人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。 ~サミエル・ウルマン~

上記されたように、理想を無くした瞬間、人は老います。 お客様に、読者さんに、地域、国、世界、宇宙にとっていいことを 継承するため未来永劫、飽くなき理想を追求し続けます。

「意識」だけで現実は変わり、
 

「目に見えないもの」の方が確か。

人には目に見えない力、つまり「意識」という力がある。 意識の作用が日常的に働いていて すべてのコト・モノ・事象は誰かの意識で創られている。 

でも意識は目に見えないから、 『ほんとにそうなの?意識で現実が創られるって大袈裟な…』 と疑う人もいる。 

地球には重力があり それは目には見えないけど 確かに実態として存在しているし それをみんな信じて疑わないのに 「意識」だけで現実創造できるって 言い切ると違和感を感じる人もいるようだ。 

「見えないけど、確かにここにある」 「見えないだけで、実態がある」 携帯電話の電波だって 地球の重力だって 電子レンジの電磁波だって 全てみんな信じているのに 「意識の力」は信じないってどうなのだろう。 

いや、信じている人は人生を思い通りに現実創造できているはずだ。 「目に見えないもの」は意外とウソつかない。 永久不変でカタチはかわらない。 

「目に見えるもの」は意外と嘘と煩悩で溢れている。 だって、人が手を加えてカタチを変えられる。 

だから

「目に見えないもの」の方が確か。 

意識だけで現実は変わる。 

 

僕のメッセージで、あなたの意識が

ほんの少しだけでもより良い方向へと変わってくれたら嬉しい。

 

 

Life Artist 了解翔太